両国花火資料館
両国の夏の風物詩といえば、隅田川花火大会である。その歴史や魅力を知ることができるのが、両国花火資料館だ。今回、資料館の説明員を務める梅津修氏に話を伺った。

館内には、花火の歴史を伝える資料や打ち上げに使われる道具、さまざまな種類の花火玉の模型などが展示されている。中でも目を引くのが20号玉や30号玉の大きな模型だ。しかし、隅田川花火大会で打ち上げられる花火は最大でも5号玉だという。

新潟県の片貝まつりや埼玉県のこうのす花火大会では40号玉といった巨大な花火が打ち上げられる。それは十分な安全距離を確保できる広い土地があるからこそ可能である。
一方、江戸時代から人口が密集していた両国では、隅田川の川幅や周辺環境に適した5号玉が受け継がれてきた。第一会場で行われる花火コンクールでは、その限られた大きさの中で花火師たちが色や形、音を競い合い、観客を魅了している。

隅田川花火大会の起源は享保17(1732)年にさかのぼる。大飢饉と疫病によって多くの命が失われたことを受け、八代将軍・徳川吉宗が犠牲者の慰霊と悪疫退散を願って水神祭を催した。
その初日に、両国のお茶屋や柳橋料亭の旦那衆が、余興として花火を打ち上げたことが始まりとされている。

当時は「隅田川花火大会」という名称ではなく、「両国の川開き」と呼ばれていた。旧暦の5月28日から8月28日までが川開きの期間で、江戸湾から吹く涼しい風を感じながら人々が夕涼みを楽しむ、夏の風物詩となっていた。
また、回向院では各地の寺社の本尊や秘仏を公開する「出開帳」が行われ、両国は江戸屈指のにぎわいを見せる盛り場だったという。こうして始まった花火大会は、幕府が許可した唯一の花火大会であり、日本最古の花火大会として今日まで受け継がれている。

取材の中で最も印象に残ったのは、梅津氏の「花火は平和の象徴なんです」という言葉だった。
隅田川花火大会は、明治維新の動乱や太平洋戦争などによって幾度も開催中止を余儀なくされてきた。戦争になれば、花火に使われる材料は兵器に優先され、人々も花火を楽しむ心の余裕を失う。だからこそ、夜空を見上げて花火を楽しめる日常そのものが平和の証なのだという。その言葉を聞き、花火には単なる娯楽以上の意味があることを改めて考えさせられた。
資料館にはコロナ禍以前は年間6,000人を超える来館者があった。その後は減少したものの、現在は5,000人近くまで回復している。その人気を支えている理由の一つが、梅津氏による解説だ。

江戸っ子らしい威勢の良い語り口にユーモアを交えた説明は、大人だけでなく子どもたちにも人気があり、その評判を聞いて遠方から訪れる人もいるという。夏休みには自由研究のために訪れる親子も多く、子どもたちが帰る頃には宿題が完成するよう、分かりやすい解説を心掛けているそうだ。
花火の歴史や文化を知ってから見上げる隅田川の夜空は、きっとこれまでとは違って見えるはずである。今年の花火大会では、夜空を彩る光だけでなく、その背景にある約300年の歴史や「花火は平和の象徴である」という言葉にも思いを巡らせながら楽しんでみてはいかがだろうか。
