元呼出し 琴二
大相撲において呼出(よびだし)を勤められていた上江田勝二氏、
呼出名は「琴二」である。

氏は沖縄県出身で力士になるため高校を中退し、18才で上京し佐渡ヶ嶽部屋の門を叩いた。
1年ほど身を置かせてもらうが、身長が足りず力士の道が閉ざされてしまう。
そのような時に佐渡ヶ嶽部屋から「呼出をやってみないか」と声をかけてもらい、
好きな相撲に関われるならと下積みから修行を始め、呼出を務めることとなる。
以来、27年間呼出として活躍し三役まで上り詰めた。

いうまでもなく、両国には大相撲の聖地である両国国技館があり、相撲の街として親しまれている。
最初の国技館が建てられたのは1909年 (明治42年) 5月31日であり
回向院内に建てられたのが始まりである。関東大震災や東京大空襲を含む 3 回の全焼を経験し、
戦後は蔵前に蔵前国技館として移転し、30年間使用されたが老朽化のため閉館し、
1984年に現在の両国国技館が完成したのである。
そして氏は相撲の世界へ飛び込んでから 27年間、両国に住み、国技館へ通ってきた。
現在も両国近くに在住しており、長らく両国と関わってきている。

氏の言葉の中でも特に興味深かったのは、
呼出の大事な仕事の一つである土俵づくりについてである。
土俵に少しでも綻びがあるとそれが勝敗を左右してしまい、ひいては力士の相撲人生そのものも
変えてしまいかねない。
この土俵づくりを誰よりも直向きに取り組んできたと氏は語る。
この土俵作りがあったからこそ、三役の昇進につながる信頼を得ることができ、
また呼出としてのやりがいと感動を知ることができたという。
土俵づくりには技術や体力が必要なのははもちろんであるが、重要な要素の一つに土がある。
この土は荒木田土(あらきだつち)と呼ばれており、 昔の荒川が氾濫し流域に堆積していった土である。
東京都荒川区荒木田原 ( 現 : 東京都荒川区町屋 ) で採れる土が良質であったため、
ブランド名となり荒木田土の名称で呼ばれるようになったといわれている。
力士にとって土俵とは最も大事であり神聖な場所である。
両国を流れる隅田川の源流である荒川由来の土と、
氏の巧みな技術と情熱で大相撲の土俵は作られてきたのである。
両国という土地について、 氏が特に思い入れのある場所としてあげたのは回向院と第一ホテル両国である。
回向院には歴代の呼出を勤めた方々が眠る「呼出し先祖代々の墓」があり、
法要は毎年 5 月場所後に行われ、現役呼出は全員参加してきたという。
また隣にある商業施設内には現在も初代の国技館跡が残っているが、
国技館ができるはるか昔の 1768 年から回向院内で勧進相撲が行われるようになり、
この回向院は呼出、そして勧進相撲の歴史において特別な意味をもっている。
一方、氏が三役に昇進した際に昇進祝いが開かれた場所が第一ホテル両国であった。
三役昇進は通常勤続 30 年以上の者とされていたが、氏は 25 年での異例の昇進となった。

また、十両に昇進した祝いの際にはファンからの祝い品として櫓太鼓がプレゼントされた。
通常、個人で櫓太鼓を作成することはないので、
誤って発注され完成したものは名前が逆になってしまっていたという。
このエピソードを愛おしそうに語る氏が
いかにこの太鼓とファンの想いを大切にしているかが伝わってきた。

現在でも毎年東京場所が行われる際には第一ホテル両国でこの太鼓を使用した
櫓太鼓・呼出実演のパフォーマンスが行われている。

「イベントを通して大好きな相撲の魅力を伝え、色々な方々と出会い、喜んでもらいたい」
氏のこれからの夢を伺うとこう答えた。
力士になるという夢を持ち上京した若き氏は、
一度は夢破れたものの、それでも憧れる相撲と共に生き、今も相撲の魅力を発信し続けている。

第一ホテル両国では2023年1月より櫓太鼓実演スタートし、2024年12月にはロビーに土俵を描き、呼出(よびだし)の実演体験を通して、両国の文化に触れていただく催しを開催しています。
開催時期は毎年1月、5月、9月の東京場所期間中になります。
ぜひご体験ください。
ディレクター/フォトグラファー
荒明 俊昭 Toshiaki Araake
- 1988年
- 10月18日生まれ 東京都浅草出身
- 2011年
- 宣伝会議コピーライター養成講座 修了
- 2011年
- 株式会社ダンスノットアクト 入社
- 2015年
- フカツマサカズ氏に師事
- 2017年
- 「パパのお弁当は世界一」サンセバスチャン国際映画祭「Culinary Zinema Section」選定 助監督として参加 2019 年 独立